さきぞうグループ概要

さきぞうグループは、
世界から日本を、日本から京都を見据え、京都を支える一員を目指します。
さきぞうグループとの縁が出来た方々(取引先もスタッフも)が、
笑顔で日々過ごせるように努めます。

沿革  History

創 業
1972年、田村佐起三と故田村(永野)操は、白く輝く布(縮緬)を洋服にしたいと共感、四季ファブリックハウスから創業しました。
当初勤務社の染工場や知人の協力でオリジナルネクタイ生産販売を始めちりめん洋服づくりの資金としました。
その後ちりめん洋服制作に服飾家の田村(尾崎)邇子が参画本格的なちりめん洋服づくりがスタートしました。
PARCO/西武百貨店/カネボウ
知人のお母さんの紹介で心斎橋PARCの常務や店長と部長、課長と遭遇、倉家担当とPARCO、西武百貨店に進出できました。
心斎橋PARCOでは季節のファッションショーに出展させて戴き、重要な学習を重ねました。

1977年には京都カネボウにて第一回ファッションショーに参画しました。
西武百貨店大津店開店に向けてパンタグラフの企画スタッフに選ばれ、「フロアーを坂道とし、最上階から水を流す」私の案が採用されました。
本アイデアは現在青山ヒルズに採用されています。

法人設立
1976年西武百貨店大津店開店に際し総務から「法人でないのは、SAKIZOさんだけ」と示唆され、近隣の先輩や友達から一口5万円で集め合計280万円の資本金で株式会社田村を設立しました。
SAKIZO INC
PARCOと西武百貨店の出店店舗増加により、テキスタイルデザインやコンバーター、洋服製造、小売業、メーカーと会社を分割、同業者集団「SAKIZO INC(インコーポレーション)」と称し、法人設立対応しました。
さきぞうちりめん誕生
シルク縮緬、レーヨン縮緬ともにクレーム問題、着物用撚糸だけでは洋服のシルエットが出ないことに、丹後織物工業組合の岩滝長谷川工務課長と丹後の織物会社の後藤部長らと相談、クレーム対応にポリエステル糸の開発を、シルエットには北陸の洋服用の縦撚糸と丹後の着物用の横撚糸を組み合わせる実験を重ねさきぞうちりめんが世に生まれました。
海外に挑戦

1979年シンガポールとフランチャイズ契約、年三回のファッションショーを開催、1985年までの6年間継続大きな学習をさせていただきました。
1980年からGAP誌と日本繊維新聞社の推薦で、西独インターストッフ展に出展、パリ、ロンドン、ロスに展開しました。
1980年GAP誌の紹介でパリ・ラファイエット百貨店バイヤーと面談「一品モノか量産物(@2~300フラン程度)しか取り扱わない(現在の日本市場)」「SAKIZOのちりめん洋服は素晴らしいので一品モノにできないか」と、私が状況を理解するのに相当な時間がかかりました。(日本市場との乖離)
1984年日米協会主催SAKIZOシカゴ・コレクション開催しました。
1985年まで海外進出を展開しましたがプラザ合意(1ドル250円が150円に急騰)為替には勝てず頓挫しました。
その間、ちりめん洋服はファッションビル&百貨店市場にて全国制覇を成し遂げ、その後市場は専門店に推移、ファッション&繊維業界の混迷が始まりました。

和装業界に進出

1987年和装業界三社とのライセンス契約を締結、全国の和装呉服店催事に出展、一社で年間5千回店を超える催事にて全国制覇をしました。
1989年ちりめん洋服の草津縫製工場を名古屋タキヒョー社に加工委託したことから売却、その資金で寺町竹屋町の新築ビルを購入、2億円のビルがバブル崩壊後3千万円の評価になりました。

不動産への挑戦

江戸時代は井筒屋と称していましたが、明治から田村性となり、井筒屋の菩提は享保8年から継承しており木屋町通では旧家でしたので、バブル崩壊後には近隣の方々から種々の相談や不動産の持込が続き、殆ど買い取らせて戴きました。京都市内中心に不動産投資を実行しました。

SAKIZO GROUP

2003年不動産投資による仲介業廣瀬善彦の参画により異業種集団「SAKIZO GROUP(さきぞうグループ)」と称しました。
2004年廣瀬善彦と共にさきぞうビル(さきぞう不動産)を設立、不動産仲介業を開始、仲介業の営業にと、より不動産を増やしてゆきました。
2005年還暦時に、1980年パリ・ラファイエット百貨店バイヤーの予測通り市場が推移、ちりめん洋服催事販売流通から撤退を決定、個人の趣味的生産に戻し直営店のみに対応、1987年~2005年の和装業界とのライセンス契約を終了しました。
2005年末から翌年にかけて繊維業界の大型倒産が相次ぎました。
京都織物卸商業組合員が、昭和50年代私が加盟時には700社弱であったのが、現在は100社弱と減少しました。

継承問題と相続問題

相続税が支払えず不動産を持ち込まれることが増加、私が買取った四条通のシードビル、木屋町本社ビル等が挙げられます。
このころ相続が出来ずに廃業や倒産がほとんどの状態でした。

2005年から取り組んだ継承問題に、創業者の一人田村操常務が「業容が大きくなりすぎて子弟では経営不可能」と世襲を反対、「会社を精算解散させるか、第三者に託すべき」と強硬に主張しました。
2014年田村操常務が逝去、反対者が亡くなったので、子弟への継承を進めるに、小西経営顧問及び相崎税務顧問から異議(顧問先で「親からもらった会社から親を追い出す」事件があること)が出され、条件付きにて継承を進めました。
これを機に私はメセナ事業への特化を進めましたが、グループの未来を決めるような決定は、誰も出来ないので致し方なく、私が継続しています。

世襲からの脱却

2022年9月度のさきぞうグループ総会(報連相会)を最後に議長で代表の子弟田村元起が欠席、因ってさきぞうグループ代表が不在のまま18ヶ月が推移しました。
2024年度、報連相会にてさきぞうグループ代表に廣瀬善彦、事務局長に田村綿絵、財団準備委員長に田村邇子、名誉会長に田村佐起三、不動産仲介部長に谷村弘二、メンテナンスに村上忍、不動産開発に荒堀京司、法務に河村昌樹、総務に福山茂男を選出、其々就任しました。

投資部門開設

2023年別荘管理会社をさきぞう地所と改称、不動産投資を始めました。別荘地の中庄浜松林邸、今津港南に、新たに蛸薬師ビル、清水坂邸、那須高原、羽咋山林、東山山林、安曇川びわこ等に投資を始めました。

さきぞう財団法人設立

2023年近代伝統服飾文化ちりめん洋服を後世に伝えるために一般財団法人さきぞう財団を設立しました。
1980年GAP誌の紹介でラファイエット百貨店バイヤーからの戴いた知識を基に、今後のちりめん洋服の在り方を検討した結果です。
さきぞう財団には、私がデザイン作成した商標を全て寄贈しました。