財団法人さきぞう財団

2023年近代伝統服飾文化ちりめん洋服を後世に伝えるために一般財団法人さきぞう財団を設立しました。
1980年GAP誌の紹介でラファイエット百貨店バイヤーからの戴いた知識を基に、今後のちりめん洋服の在り方を検討した結果です。
さきぞう財団には、田村佐起三がデザイン作成した商標を全て寄贈しました。

ちりめん洋服の誕生


田村佐起三は、
巻いて着る文化の「着物文化」と、肩で着る「洋服文化」の違いに惑わされ、
その違いを探る中で、巻いて着る織物は横糸中心で、肩で着る織物は縦糸中心である事に気付きました。

そこで、従来縒りをかけ無かった縦糸に撚糸を加える実験を重ね、縦糸の縒りと横糸の縒り加減で素晴しい洋服用の縮緬布が織りあがることを突き止めました。

そのバランスの良い縒り加減で織り上った「ちりめん布」を使用し、デザイン・製作したものをこの世に発表しました。

SAKIZOのちりめん洋服~伝統を継承し続けるため~


「ちりめん洋服」を主に、作法衣や小物など全てを手作業で丁寧に製造しております。

始者である田村佐起三はテキスタイルデザインを多角的に想像し、蝶や花や鳥や草花、幾何学模様や小紋等を自己のキャンパスに描き上げ、柄を創出プロデユース、ちりめん洋服に染めてきました。
ちりめん洋服何百万着を世に出すに、何千柄を田村佐起三が生み出しました。
田村佐起三は「柄色は泉のように湧いてくる」と言います。
その柄色の質と豊富さは誰にも負けない自負があり、現在ちりめん小物にも豊富な柄色発表、年間何万点もの店頭購買につながっています。

「ちりめん洋服」は全てが手作業なため、値段は少しお高いのですが、その分納得してもらえる創りとなっております。その一本一本を丁寧に創りあげた「ちりめん洋服」をあなたは一度着て見るとわかります。

≪縮緬布(ちりめんぬの)とは?撚糸発生シナリオ伝聞≫


縮緬布とは、糸を右に捻って縒った糸と、左に捻って縒った糸とを交互に織り、縒った撚糸の反発にて布の表面に波(畝)を発生させた織物です。
紀元前メソポタミアにて綿花や羊毛、麻から糸をつむぐ際、自然発生的に左や右に捻る糸が生まれ、その糸が柔らかいことが東西に伝わり、西の端のイタリアにて伊太利亜撚糸として存在、東には中国を経由して約400年前に日本の京都西陣に伝わり縮緬布が完成、その後京都丹後に伝わったと聞きました。

縮緬布とは、糸を右に捻って縒った糸と、左に捻って縒った糸とを交互に織り、縒った撚糸の反発にて布の表面に波(畝)を発生させた織物です。
紀元前メソポタミアにて綿花や羊毛、麻から糸をつむぐ際、自然発生的に左や右に捻る糸が生まれ、その糸が柔らかいことが東西に伝わり、西の端のイタリアにて伊太利亜撚糸として存在、東には中国を経由して約400年前に日本の京都西陣に伝わり縮緬布が完成、その後京都丹後に伝わったと聞きました。

グラスフェッドミートを求めて


1984年胆嚢摘出後にシャトーブリアンが消化できなくなり、
グラスフェッドビーフ(牧草飼育牛)を求めて2001年7月ニューヨークに往きTボーンステーキを始めて戴きました。驚いた事に二か月後同時多発テロが起こりました。
日本では馬肉が良いということで、馬野郎を開店させました。

2012年頃、誰か馬肉店をやらないか?と募ったところ、
当時テナントの店長であった26歳の小田嶋さんが手を挙げたので、資金全額融資で開店しました。
融資は三年で完済されました。

当時の西木屋町通は風俗街で、同級生と後輩に頼まれ、普通の清潔な道に戻すために、若者が集まる業種として牛と馬を構想しました。
牛肉店はご用達の大詔閣があるので、馬肉店を募集「馬野郎」と名付ました。
これが大当たり、若者の街になった西木屋町通から風俗店が退店、清潔な街に戻りました。